7月25日 曇りのち晴れ
朝4時前に起きた。空は曇っているようでご来光は期待できそうにないので別山行きは止め、朝食の時間まで横になって休んだ。ゆっくり休めたおかげで昨日の疲れは感じていないが今日予定していた室堂に下ることはやめてまっすぐ大日小屋を目指すことにした。お昼までに大日小屋に着けば昨日の疲れは一時的なものであり縦走続行と考えた。5時から支度を始め、朝食後6時半に大日小屋に宿泊申し込みの電話をして小屋を出発、この時は既に別山乗越はガスに包まれていた。
最初はなだらかな下り道も九十九折りになって一気に高度を下げていくとガスの下に出た。ハクサンイチゲやチングルマ、コバイケソウなどのお花畑が続く。ここでザックに仕舞っていたミラーレスカメラを取り出し首から下げて花々の写真を撮りながら歩いた。登山道脇で薄いピンク色が僅かにかかったチングルマを見つけた。これがタテヤマチングルマなのか?もっと色のついたチングルマがないか辺りを注意深く探したが、普通の白いチングルマばかりだった。
少し下ったところで大きな雪渓が現れた。人の踏んだ後は判らなかったが難しい斜度でもないのでその先の登山道目指してそのまま横切ると新室堂乗越に着いた。ここまで標準コースタイムより遅れているので奥大日岳へと先を急いだ。
奥大日岳への登山道で薄日が差し始め剱岳山頂に僅かにガスがかかるまでに天気は回復していた。奥大日岳南側の斜面に入ると剱岳は見えないが弥陀ヶ原が一望でき、斜面にはバイケイソウやコバイケイソウの群落などが楽しめた。
9時半に奥大日岳への稜線に上がると剱岳がその姿を現した。登ってきて良かったと思えた瞬間だった。このころは天候は回復していたが、立山三山だけにガスが残っていたのが残念だ。
登山道は左に折れて奥大日岳に至る。山頂からは霞む富山平野から早月川沿い、そして早月尾根から聳え立つ剱岳、槍穂では味わえないパノラマだ。早月尾根の途中には早月小屋も認められ、この標高差のある長大なルートを登ってきたんだと思うと自負心のような満足感を感じた。
山頂で景色を堪能していると単独の男性登山者が登ってきた。聞けば地元の方で朝一番に室堂に入り称名滝に下って帰るという。この登り下りのコースはトレーニングでよく利用されるそうで、この先の鎖場や見どころをそして地獄谷の火山や弥陀ヶ原、大日平の生い立ちなど話してくれたあと中大日岳に向けて下っていった。このコースをトレーニングコースに出来るのは地元の人ならではの特権だ。
1時間近く山頂で過ごして出発した。鎖場と長い梯子を下った先で単独の女性登山者に出会った。その両靴はソールが剥がれてガムテープが巻かれていた。出発前に片方に1㎝弱の亀裂は見つけたが、剥離するとは思ってもいなかったそうで、ソール剥離後大日小屋に駈けこむと、宿泊するのなら接着剤を使ってみると言われたが、今日中に東京に帰らないといけないのでガムテープでの処置をしてもらったと話した。早朝に室堂を出発し大日岳まで往復してその日のうちに東京まで帰るという山行はかなり山に慣れている人で事前にチェックまでしていてまさかが起きてしまったのは自分にも教訓になる。女性と別れた後、宿泊するのなら接着剤を使ってみるという話、その接着剤が実用強度に達するまで何時間か必要だからではと想像した。
七福園の木道を過ぎて12時に中大日岳に到着、この時は既に雲が湧き始めて剱岳の山頂を隠していた。ここで昼食中に親子連れと思われる二人が通過していった。中学生と思われる少年がこの下の登山道脇にムシトリスミレが咲いていると教えてくれた。下山時ムシトリスミレは見つけられなかったが、この少年はオーナーの息子さんだった。
12時半に大日小屋に着いた。目標の12時は越えたが奥大日岳で1時間近く過ごしたことを考えると体調問題はないと小屋前にザックをデポして大日岳に登るが、雲が更に勢いを増しており早々に下山、13時半に大日小屋で宿泊の手続きをした。この日は団体予約があり一人1枚の布団は確保できないがそれなりの広さは確保されていた。
午後は小屋付近でもガスに覆われてしまっていた。その小屋の前でビールを飲んだりして寛いだ。カガミ谷乗越付近で追い越してきたご婦人方と話が弾んだ。馬場島から剱岳に登りここが折り返し点で剱岳経由で馬場島に戻るという小生の予定に「バカ」と言われた。富士山の地元静岡で聞いた「富士山に登らないバカ、二度登るバカ」のニュアンスでしょうか。
夕食後ギター製作者でもある小屋オーナーのギター演奏会が食堂であった。山小屋でギター演奏を聞けるとは思ってもなく食堂に満員の宿泊客とともに大満足だった。